「ご機嫌」というと、いつもニコニコとか、嬉しくてハイテンションというイメージがあるかもしれませんが、今回の話はそうではありません。
・リラックスした、穏やかな心
・ストレスに負けない、しなやかな心
・軸がブレない、強い心
この3つを兼ね備えているのが、「いつもご機嫌な人」です。
いつもご機嫌な人は、不安も怒りもストレスも、半減します。
反対に、自信や笑顔や優しさは、倍増します。
喜びに溢れ、さっぱりと清々しくほがらかに生きていけます。
というわけで今回は、いつもご機嫌な人の考え方を厳選して2つご紹介させていただきます。
「ストレスに弱い」
「自信が持てない」
「不満が多い」
など、なんとなく生きづらさを感じている方にとっては、必見の内容になると思いますよ。
いつもご機嫌な人の考え方①
いつもご機嫌な人の考え方、その1つ目はこちら↓
「カッコいい」かどうかを基準に生きる
生き方の基準は、大きく分けて3つあります。
・損得を基準に生きる
・善悪を基準に生きる
・かっこいいかどうかを基準に生きる
この3つの中で、一番ご機嫌でいられるのは…
かっこいいかどうかを基準に生きることです。
たとえば、僕の場合だと…
車の運転で「お先にどうぞ」とか、「安全な車間距離をあける」とか、優しい運転ができる人をカッコいいと思います。
逆に、前の車にピッタリ引っ付いたり、車線変更を繰り返してセカセカ運転する人を見ると、「急いでも大差ないのに、ケチ臭いな。カッコ悪いな」と思います。
損得基準の人は、不機嫌になりがち
で、このセカセカ運転する人は、損得を基準に生きている人。
損得が基準の人は、とにかく不機嫌になりがちです。
それは、車の運転だけではなく…
外食で奥さんに「ご馳走さまくらい言いなよ」と言われても、「金払ってるのは、こっちだぞ!」と不機嫌になります。
上司から「新入社員には優しく指導してね」と言われても、「なんで俺が、気を使わなきゃいけないんだ」と不機嫌になります。
損得が基準の人は、とにかく考え方がケチ臭くなってしまうのですね。
で、結果的に周りの人からも嫌われてしまい、ますますご機嫌でいられなくなります。
善悪基準の人は、ストレスが溜まりがち
次に、善悪を基準に生きている人はどうかと言うと…
セカセカ運転する人を見て、「私はマナーを守ってるのに」とか、「もっと安全運転すべきだ」と考えます。
こうした「~のに」や「~べき」といった考え方が、無意識のうちにストレスを溜めてしまうんです。
「あっ、それ私だ」と思われた方もみえるかもしれませんが、正しく生きているのに、これではツラいですよね。
カッコよさを基準にしている人は、自己肯定感が高まる
一方で、カッコよさを基準にしている人は、優しい運転ができている自分に誇りを持てます。自己肯定感が高まります。
セカセカ運転を見ても、「カッコ悪いな~」と思う程度で、それほどストレスを感じません。
結果として、いつもご機嫌でいられるんです。
「かっこいいかどうか」を基準に生きると、ネガティブ感情からも解放されます。
例えば、過去の出来事を思い悩んでいるときでも…
「なんで俺、こんなカッコ悪いことを考えてるんだろう?やめたやめた!」と、ネガティブな思考を吹っ切ることができます。
電車で目の前のお年寄りに、「席を譲ろうかな。でも、逆に失礼かな…」と迷っているときでも…
「なんで俺、こんなことでビビってるんだろう。かっこわる!」と思えば、俄然勇気が湧いてきます。
上司にヘコヘコして出世した人がいても、「俺は正々堂々とカッコよく生きたい!」と思っていれば、その人をうらやむこともありません。
むしろ、「あんなカッコ悪いことはできない」と自分の生き方に誇りを持てます。
「かっこいいかどうか」を基準に生きることには、もう1つ大きなメリットがあります。
それは、かっこいい行動ができると、その日一日気分が良くなる。
これは僕が会社員だった頃の話ですが、ある日、同僚が少し遅刻してきました。
あとで理由を聞くと、「駅前でお年寄りに道を聞かれて、案内していたら、電車を2本も乗り損ねた」とのこと。
それを聞いて、「めちゃくちゃカッコいい!やられたな」と思いました。
同僚も、「今日は朝から気分がいい」と言っていました。
かっこいい行動をすると、それだけで自分を好きになり、その日一日をご機嫌に過ごせるのですね。
いろいろご紹介しましたが、カッコいいかどうかを基準に生きると…
・自分に誇りを持て、自己肯定感が高まる
・「~のに」や「~べき」が減り、ストレスが小さくなる
・ウジウジ悩まなくなる
・勇気が湧いてくる
・人をうらやむことがなくなる
・かっこいい行動ができると、その日一日気分が良くなる
その結果、いつもご機嫌でいられる、ということですね。
江戸の幸福度が高かった理由
ちなみにですが、江戸時代の江戸は「非常に幸福度が高かった」と言われています。
なぜかというと、一番の理由は、おそらくこれです。
「粋か野暮か」を基準に生きていた
つまり、「カッコいいか、ダサいか」が生きる基準。
だから江戸っ子は、人情味に溢れ、さっぱりと清々しく生きていけたのでしょうね。
「かっこいいかどうか」を基準に生きるコツは、2つあって…
・「あの人かっこいいな。あんな生き方いいなあ」と思う人をマネする
・「あの人、ダサいな。カッコ悪いな」と思う人と同じことをしない
シンプルですが、これを3か月も続けていれば、損得基準や善悪基準がだんだん薄れていきます。
また、「人からどう思われるか?」という怖れも薄れていきます。
生きる基準が「カッコいいか、ダサいか」の1つになり、シンプルながらも心軽やかに生きていけると思いますよ。
いつもご機嫌な人の考え方②
いつもご機嫌な人の考え方の2つ目は、こちら↓
共同体感覚を忘れない
共同体感覚は、以前にもお伝えしましたが、ご機嫌に生きる上で欠かせない考え方ですので、もう一度ご紹介させてください。
共同体感覚とは、アドラー心理学において「悟りの境地」みたいなものです。
アドラーも、「最高の幸福とは、共同体感覚を持って生きることですよ」と言っています。
では、共同体感覚とは何か?
アドラーに言わせると、こうです。
人は、(人類や生命)全体の一部であり、その全体とともに生きていると実感していること
ちょっと、なに言ってんのかわかんないですよね。
実は、共同体感覚は、その名のとおり「感覚」なので、説明するのが難しい。
外国人に、お味噌汁の味を説明するくらい難しい。
そこで、簡単なお話を作ってみました。
すぐに終わるので、ちょっとだけお付き合いください。
「自力と他力」という話です。
むかしむかしのお話です。
九兵衛さんは、江戸から越後まで行くことになりました。
当時はまだ、道らしい道がなく、自力で草をかきわけて歩くしかありません。
川には橋がないので、自力で泳いで渡ります。
もちろん飲食店もないので、自力で食べ物を調達します。
その結果、越後に到着するまでに100日間かかりました。
この場合、九兵衛さんは誰の力も借りなかったので…
・自力100%
・他力0%
ということになります。
それから数年後、九兵衛さんは、再び越後に向かうことになりました。
今度は、街道がきれいに整備され、川には橋が架かっています。
また、宿場町も整備され、疲れたときは馬や籠に乗ることもできました。
そのおかげで、越後まで30日で到着。
前回より70日も短縮できたわけです。
ということは…
・自力⇒30%
・他力⇒70%
ということになりますよね。
このように考えていくと、
現代の私たちは、自力が何%になるのでしょうか?
ここからは、ぼく自身の話で恐縮ですが…
すこし前に、名古屋から福井まで日帰り旅行に行ってきました。
ぜんぶ自分で運転したから「自力100%」と言いたくなりますが、全然そんなことはないのですね。
たとえば「道路」。
道路をスムーズに走れるのは、炎天下で工事してくれる人たちのおかげ。
そして、みなさまの税金のおかげ。
それから「車」。
車は、ぼくが作ったものではありません。
自動車メーカーの人がつくってくれて、整備するのも車屋さん。
ガソリンも、どこかの誰かが石油を掘ってくれて、船で運んでくれる人がいて、精油してくれる人がいて、ガソリンスタンドまで運んでくれる人がいる。
ぼくの代わりに頑張ってくれている人がいて、そのおかげで車を動かすことができる。
それから、コンビニや道の駅。
お店が開いているから、安心して旅ができるし、もしもトイレがなかったら、とても福井まで行く気にはなれません。
着ている服も同じ。
服・下着・靴下・靴…、自分で作ったものは何一つありませんが、これが無ければ、お巡りさんに捕まってしまいます。
こうやって考えてみると、自力というのはせいぜい0.1%くらい。
ほとんどが他力。
世の中の人たちに支えられて、楽しい日帰り旅ができたわけです。
旅だけではなく、ポッキー1つでも同じです。
ポッキーを自力で作ろうとしたら、まずはチョコレートの原料であるカカオを育てなければならない。
そのためには、中南米でカカオのタネを取ってこなければならない。
そうなると、自分で船を造らなければならない。
そのための材料・工具・設計図・文房具…、これらも作らなければならない。
こう考えていくと、ポッキー1本ですら、自力で作ることは絶対に不可能。
ポッキーだけでなく、ジャガイモも牛肉も、時計も掃除機も、電気も綺麗な水も、1から自力でつくるのは、まず不可能。
もしも電車も道路もなければ、会社に到着するまで何日かかるかわかりません。
私たちは、1日を一生懸命生きているわけですが、それでも自力はせいぜい0.1%。
99.9%は、他の人たちのおかげで成り立っている。
この現実を受け入れたとき、共同体感覚が芽生えてきます。
・人間は限界のある存在なんだ
・自分一人では生きていけないんだ
・みんなのおかげで、今の生活が成り立っているんだ
そして、共同体感覚が芽生えると、さまざまな気持ちの変化があらわれてきます。
まず1つ目が、①心から感謝できる
たとえば、歯ブラシ1本でも…
「これすごいなぁ。誰が発明したんだろう。これが無かったら、歯がボロボロだろうな」と、歯ブラシ1本にも感謝と感動の気持ちが湧いてきます。
宅配便が届いたときでも…
「翌日に届くって凄いよなぁ」「私が寝ている間も、夜通しトラックを運転してくれてるんだろうな」と感謝の気持ちが湧いてきます。
次に、②やる気が湧いてくる
「みんなのおかげで、豊かな暮らしができるんだ」
そう思えたときに、「自分も共同体の一員として、微力ながらも恩返ししていこう」とか、「周りの人を大切にしよう」という気持ちが自然と湧いてくるものです。
最後は、③食事が美味しくなる
たとえばシャケおにぎり1個でも…
それができるまでの手数や、農家さんの笑顔などを想像して食べると、ありがたい気持ちになり、いつも以上に美味しく感じるものです。
このように、共同体感覚が芽生えると、何気ない普通の一日でも、豊かな気持ちで暮らしていけます。ご機嫌でいられます。
ちなみにですが、「しあわせ」とは、本来「仕・合わせ」のこと。
「みんなの仕事が一つになって、わたしは幸せになれました」という言葉。
「ご馳走さま」も同じで、「馳走」という漢字は、「忙しく走り回る」という意味です。
「世の中の人たちが、忙しく走り回ってくれたおかげで、食事にありつくことができました」
たぶん昔の人は、共同体感覚を忘れないために、「仕合わせ」とか「ご馳走様」という言葉をつくったのでしょうね。
とにもかくにも、共同体感覚を忘れないことが、ご機嫌に生きるのに欠かせない条件。
ですので、目のまえの物ができるまでの手数を、ときどき想像してみる。
そんなことをしていると、共同体感覚が磨かれて、より一層豊かでご機嫌に暮らしていけると思いますよ。
まとめ
この世には、「お金」よりも大切なものがあります。
それが、今回ご紹介しました「ご機嫌」。
「お金持ちなのに、いつも不機嫌な生活」と、「質素だけど、いつもご機嫌な生活」。
どっちがいいですか?と問われたら、一瞬迷うかもしれませんが、やっぱりご機嫌な方がいいですよね。
私たちは、旅行やレジャーや外食に、たくさんのお金を使いますが、これもやっぱりご機嫌になるため。
ご機嫌は、お金よりも大事なんですね。
それだけではなく、自分がご機嫌でいるだけで、周りの人を幸せにできます。
逆に、いざこざも、犯罪も、戦争も、たいがい不機嫌な人が起こします。
そう考えると、ご機嫌でいることは、ある意味「義務」なんですね。
では、どうすればご機嫌でいられるのか?というと…
よく言われるのが、充分な睡眠・運動習慣・人との交流。
でも、この3つだけでは、「いつもご機嫌」というわけにはいかない。
じゃあ、どうすればいいのか?というのが、今回ご紹介しました、この2つ。
①カッコいいかどうかを基準に生きる
②共同体感覚を忘れない
どちらも、考え方をちょっと変えるだけで、1円もお金はかかりませんからね。
ぜひとも、この2つを実践して、今よりもっとほがらかで、喜びに満ちた毎日をゲットしてくださいね。
以上、いつもご機嫌な人の考え方・2選でした。
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