あなたは、「物にも魂がある」ということを信じられますか?
今回の記事は「物にも魂があると信じると、人間関係がうまくいく」という、ちょっと不思議系のお話。
ですので、「非科学的な話をきくとイラっとする」というかたは絶対に読まないでくださいね。
信じるも信じないも皆さんの自由ですが、「信じたほうがきっとお得ですよ」という内容です。
物には魂があるのか?ないのか?
●自動車やボールペンなどの「物」にも魂がある
これを信じられる人は、ごく少数だと思います。
●木や花などの「植物」には魂がある
これを信じられる人は、もう少し多いかもしれません。
神社でも「ご神木」といって、樹木を大切にしますからね。
●人間や犬などの「動物」には魂がある
これを信じられる人となると、かなり多いと思います。
お盆やお葬式も、魂に対する儀式ですからね。
ところが、若いころの僕は「人間に魂がある」ということすら信じられなかった。
「意識は脳がつくるもの」というバリバリの唯物論者でした。
でも、いろんな不思議な体験や、たくさんの本を読むうちに「きっと魂はある。いや!絶対にある。物にだってある」というふうに考え方が180度変わってきました。
それと同時に、「物にも魂があると信じると、いろいろと良い事が起こる」ということにも気づいたんです。
なぜ僕が、「物にも魂がある」と思うようになったのか。
そして、なぜ「物にも魂がある」と信じると、良い事が起こるのか。
この2つを簡潔にお伝えしていきます。
「魂がある」と思うようになった理由
なぜ僕が、「魂がある」と思うようになったのか。
「親しい人が亡くなったときに、台所やトイレで物音がする」という現象を”いとまごい”というそうです。
亡くなった人の魂がお別れを告げにくる、というもの。
若いころの僕はバリバリの唯物論者で、「いとまごい」なんて全く信じていませんでした。
ところが、我が家にも驚くことが起きたんです。
魂がお別れを告げにきた?
親戚のように親しくしているおじさんから新築祝いでもらった「大きなノッポの時計」。
それが突然動かなくなり、「あれ?」っと思っていたんです。
そして後日わかったのですが、時計が止まったちょうどその日に、おじさんが若くして病気で亡くなっていました。
まさに「いとまごい」です。
でも、当時のぼくは「偶然の出来事だよ」と思っていました。
なぜなら、バリバリの唯物論者だったからです。
ところが、さらに衝撃的な出来事が起こり、ぼくの考えが180度変わります。
窓の外に「魂」をみた!
「死ぬと、白い光の玉が迎えにくる」
本を読んでいると、ときどきこんな話に出会います。
ネットでも、「夜中に白い光の玉をみたのですが、何なのでしょうか?」というのをたまに見かけます。
なんとも、うさん臭い話ですよね。
でも、ぼくも見ちゃったんです。
ある夜、ぼくと妻がぜんぜん眠れなくて、珍しく夜中の2時過ぎまで話し込んでいました。
そのとき妻が、突然の悲鳴。
「キャー!あれあれ!」
妻が指さすほうを見ると、カーテンのすぐ向こう側、つまりベランダのあたりに「白い光の玉」の軍団がいるんです!
記者会見のフラッシュのように激しくバチバチ光りながら、右から左へゆっくりと流れていく。
ぼくたち二人は固まっていましたが、光が通りすぎた直後にカーテンを開けました。
しかし、白い光の軍団はもう見当たらない。
カーテン越しだったので、直接「白い光」を見たわけではありませんが、寝室の分厚いカーテンを突き抜けるほどの激しい光でした。
「もしかして、あれが死んだときに迎えにくる光の玉?」と話をして眠ったのですが……。
もっと驚いたのは、次の朝です。
やっぱり「死んだときに迎えにくる光の玉」だった
翌朝、なんだか外が騒がしい。
玄関を開けると、たくさんのパトカーや消防車。
訳を聞くと…
なんと、家族ぐるみで仲良くしていた同世代の奥さんが、家で亡くなっていたのです。
このときに、ぼくの考えは180度変わりました。
「やっぱり魂はあるんだ。本に書いてあることは本当だったんだ」と。
もう「偶然でしょ」というレベルではないですからね。
さらにその直後、『人生はいつも「今から」(三浦 雄一郎 著)』という本を読んで驚きました。
三浦 雄一郎さんは、80歳でエベレストに登頂した、あの三浦さんです。
その本に、このようなことが書かれてあったんです。
「真っ暗なはずの夜の山小屋が、激しい白い光の玉に覆われ、それを見たときに親父が死んだことがすぐにわかった」
「まったく同じじゃん!」って。
有名人が同じ体験をしているということで、ほっと安心したのを今でも覚えています。
魂が「人の口」を借りて話をする?
最後にもう一つ。
ぼくの人生を変えた不思議な体験です。
「あの世にいる魂が、人の口をつかってアドバイスをしてくれることがある」というのも、ときどき本で見かけます。
イメージでいうと「恐山のイタコ」みたいなことです。
特徴としては、「言った本人は、言ったことを忘れてしまう」こと。
このようなことをする魂を「指導霊」と呼ぶそうです。
これまた、インチキ臭い話ですよね。
でも、ぼくも体験しちゃったんです。
長男がまだ幼い頃、突然こんなことを言い出しました。
「パパ。今の仕事をやめて、次の仕事にしなよ。そのほうがいいから」
片言でしか話せない息子が、なぜか大人の口調なんです。
びっくりして声も出ませんでした。
実は、ぼくはこの頃「今の仕事をやめて、心に関する仕事をしたい。だけど家族5人を養っていく自信がない」と悩んでいる最中だったのです。
しかも、そのことは誰にも話していない。
なぜ、長男がぼくの悩みを知っているのか?
なぜ、大人の口調なのか?
もしかして、これって「指導霊のアドバイス」じゃないの!
というわけで、すぐに仕事をやめて、今の仕事に就いているわけです。
「魂」に関する不思議な話はまだまだあるのですが、不思議系の話をすると「インチキカウンセラー」とか言われたりして、僕にとって良い事はないので、このくらいにさせていただきます。
で、ここまでが「魂がある」と信じた経緯。
ここからは、「物にも魂がある」と信じた経緯ですが、こちらはとても単純な話です。
「物にも魂がある」と信じたワケ
ぼくが「物にも魂がある」と信じた理由は、2つ。
「本からの情報」と「自分でおこなった実験」です。
本を読むと、「物にも魂がある」と思える情報が山ほどあります。
たとえば、「ありがとう農法」。
「ありがとう、ありがとう」と心を込めて野菜を育てると、丈夫になり、農薬も少なくなり、美味しく育つそうです。
野菜であっても、愛情込めることで健やかに育つのですね。
全国シェア60%を誇る「竹田製菓のタマゴボーロ」も、製造過程で「ありがとう」を100万回聞かせることで、口どけ滑らかなタマゴボーロに仕上がるそうです。
ありがとうと言えば、「ありがとう療法」というものもあります。
たとえば、ガンを患っている人が、自分の体に「ありがとう、ありがとう」と言っていると、稀にガンがすっかり消えて無くなることがあるという療法です。
それから、我が家の給湯器も。
「エラーが出まくり」で、メーカに相談してもお手上げだったのですが、毎日「ありがとう」と感謝するようにしたら、すっかり直ってしまったということもありました。
まるで、物にも意志があって、「かわいがってあげれば、その人のために一生懸命お役に立とうする」。
そんな気がしてきませんか。
他にも…
社用車を自分で洗車する会社は、事故が激減するとか、
警察の交通課の人によると「事故車の8割くらいが車内が汚い」とか、
芸能リポーターの故東海林のり子さんによると「マンションの殺人事件の部屋は、間違いなくベランダが一番汚い部屋だ」とか、
少年野球で道具を大切にする子は少数だけど、その少数の中から「一流のプロ野球選手」が生まれるとか、
長年、行列ができるような繁盛店は、かならず厨房が綺麗だとか、
職人でもF1レーサーでも、一流と呼ばれる人はかならず道具を大切にしているとか。
物にも魂があって、大切に扱えば、一生懸命その人のお役に立とうとしてくれる。
反対に、雑に扱えば、なぜか悪いことが起きる。
そんな事例が、数え切れないほどあります。
ただ、この程度の証拠では、「物にも魂がある」とは認めないのが僕のガンコなところ。
なぜなら、元バリバリの唯物論者ですから。
というわけで、本からの情報だけでは「物にも魂がある」というのは半信半疑だったのです。
実験したら、物にも魂があった!
そんなとき、あるセラピストから興味深い話を聞きました。
「物だって、人の言葉や気持ちが理解できるで。ホンマ。食べ物で試したらすぐにわかるでぇ」と。
疑いぶかい僕は、家に帰ってさっそく実験です。
実験に使ったのは「生たまご」と「食パン」。
下の画像をごらんください。
●左側が、「ありがとう・だいすき・うれしい」と毎日声をかけた生たまご(24日目)
白いカビが生えましたが、美味しそうな香りがします。熟成発酵した感じです。
●右側が、「めんどくさい・うざい・うっとうしい」と毎日声をかけた生たまご(24日目)
青カビが生え、完全に腐っています。ドブのニオイです。
●次の画像は、「心配だわ・ついてない・ムリ!」と毎日声をかけた食パン(24日目)
完全にカビに覆われました。
●「幸せ・ついてる・君ならできる!」と毎日声をかけた食パン(24日目)
24日もたったのに、微妙にカビが生えただけです。
いかがでしょう?
物にも魂があって、人の話をちゃんと聞いている。
そして、ちゃんと言葉に反応している。
そうとしか思えませんよね。
とくに食パンは、「大きな耳」があるから地獄耳なのかもしれませんね。
☆☆
すみません。前置きが長くなってしまいました。
「物にも魂があると信じると、人間関係がうまくいく」というのが本題でしたね。
というわけで、ここから本題ですが、文章が長くならないよう簡潔にお伝えさせていただきます。
なぜ、物にも魂があると信じると、人間関係がうまくいくのか?
物のなかに魂が見えている人は、「綺麗なバラ」も「道端のタンポポ」も同じ一つの魂。
「ブランド品」も「歯ブラシ」も自分にとって大切なもの。
みな同じ価値で、みな平等で、みな大切な魂です。
一方、物のなかに魂が見えていない人は、価値判断を「値段や見た目などの表面的なもの」に頼る以外に方法がなくなります。
たとえば、「ヴィトンのバッグは大切にするけど、安いトートバッグは雑に扱う」みたいなことです。
「表面的なもの」に価値を置いてしまう人は、きっと人間に対しても同じことをしてしまうと思うんです。
たとえば、トイレで会った部長にはあいさつするけど、トイレ掃除のおばちゃんにはあいさつしないとか。
たとえば、ベンツに乗っている人には丁寧に接するけど、軽自動車のおばあちゃんには平気でクラクションを鳴らすとか。
このように、「表面的なもの」に価値を置くような生き方をしていると、だんだん自分が追い込まれてしまいます。
なぜなら、周りの人たちは、見ていないようで、ちゃんと見ているから。
「あの人、ちょっと変よね」「私、あの人苦手」というふうに、だんだん人徳を失ってしまうわけです。
それから、もう一つ。
魂が見えていない人は、きっと「新しい物は大切にするけど、古い物は雑にあつかう」みたいなことになると思うんです。
すると、その考え方が人間に対しても出てしまう。
「家族には文句ばかりだけど、外づらはいい」
「結婚する前はいい人だったのに、結婚した途端に人が変わった」
「初対面の人には親切だけど、だんだん図々しくなる」
といった感じで。
これでは当然、周りのみんなから嫌われてしまいますよね。
「金の切れ目が、縁の切れ目」ではない
テレビをみていると、会社をつぶした社長さんが、ときどきこのようなことを言っています。
「会社がつぶれた途端に、友だちがクモの子を散らすようにいなくなったよ。妻にも逃げられて。金の切れ目が、縁の切れ目だよ」
きっとこの社長さんは、お金・地位・能力・効率といった「目に見えるもの」を大切にして生きてきたのだと思います。
だから、それを失えば、人が離れていってしまう。
魂と魂がつながったような深い人間関係ができていたら、「自分が困っているとき」にこそ友だちが集まってきてくれたはずです。
奥さんに至っては、命がけで夫を支えてくれたはずです。
魂を尊重するような生き方をしてきたのなら、一人ぼっちになってしまうことは決してなかったでしょう。
鶴瓶さんのすごい人間力
NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という番組をみていると、鶴瓶さんはホントすごいなぁと思うんです。
ロケ地で地元の人と話をする番組なのですが、誰と出会っても、まさに「魂を尊重する」ような接し方をします。
相手が社長だろうが、変なおじさんだろうが、同じようにあたたかく接します。
お宅におじゃまするときは、まず最初にお仏壇に手を合わせます。
地位も財産もまったく関係なし。
生きていても亡くなっていても同じ。
みんな平等。
はじめて会った少年であっても、「その子の魂に話しかける」ように優しいまなざしで接します。
だからこそ、初対面でもみんな笑顔で近づいてくるのでしょうね。
そんな鶴瓶さんなら、「金の切れ目が縁の切れ目」なんてことにはならないことでしょう。
ちなみに、鶴瓶さんは「初めてサインした子」と、今でも付き合いがあるそうです。
街で誰かに話しかけられても、かならず足を止めて話をするそうです。
ラジオのリスナ-から「いい歯医者を知りませんか?」と電話がくることもあるそうです。
そんな行動からも、「一つ一つの魂を尊重している」ことがうかがえます。
タモリさんも山田洋次監督も、そんな鶴瓶さんの人間力を絶賛しています。
「人間関係がうまくいく」だけじゃない
ここまでの説明で「魂があると信じると、人間関係がうまくいく。いい人間関係ができる」ということが、なんとなくでもご理解いただけましたでしょうか。
説明がヘタで、すみません。
最後に「魂を感じて生きると、人間関係がうまくいくだけじゃない」ということを、ちょっとだけご紹介して終わりにします。
自分のことを好きになる
魂を意識しないと、自分の価値を「能力や成績などの表面的なこと」で計ってしまいがち。
「私には才能がないから」「おれは学歴が低いから」というふうに、目に見えるものだけで判断していると自分を愛せなくなります。
ところが、自分の魂を意識すると、まったく別の角度で自分をみることができます。
「不器用な私だけど、それでもよく頑張ってるよなぁ」
「この安月給で生きていける俺って、ホント偉いよ」
……
「ところで、後輩の吉田はドンクサイやつだけど、それでもがんばって生きてるんだよな。えらいよ」
このように、魂を意識することで、自分のことを好きになれると同時に、人のことも好きになれるわけです。
子育てでも…
子育てでも「子どもの魂を意識する」と、口から出てくる言葉が変わってきます。
あたたかい感じの言い方になるものです。
「忙しいから、あとにして」
「宿題を忘れるなんて最低ね」
「夢みたいなことを言ってないで、さっさと勉強しなさい」
このような、子どもの魂を傷つける言葉は出てこなくなるはずです。
豊かな暮らしができる
物にも魂があると思うと、「大切にしよう」という気持ちが芽生えます。
たとえ7000円のママチャリでも、「いつもありがとう」という気持ちで磨いたりしていると、だんだん愛おしくなってきます。
たとえ2000円の靴でも、ときどき磨いてあげると、深みのある輝きがでてきて好きになります。
大切に扱うことで、自分にとって「価値あるもの」になっていくのです。
そんな大切な仲間といっしょに生活し、いっしょに話を聞き、いっしょに眠る。
すると、高価なものを買わなくても、大切なものたちに囲まれた豊かな暮らしになります。
また、処分するときに「今まで本当にありがとね」って感謝すると、涙が出るほどあたたかい気持ちになれるものです。
☆☆
長い長い文章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
「すべてのものには、何物にも代えがたい大切な魂が宿っている」
そう信じることで、いろいろと良い事がある。
そんなことが、なんとなくでも分かっていただけたら幸いです。
☆☆☆
以上、「物にも魂があると信じると、人間関係がうまくいく」というお話でした。
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